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世界の宗教

コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一の連載エッセイ 時空を超えて コスモロジーと出会う

 

第13回 ハスのコスモロジー(中・その2)


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〈ハスの花は地上の精華〉

仏教の生まれたインドでハスの花は、あくまでこの世、この地上世界の豊かさを象徴するものでした。それは大地に根を張りめぐらし、水と太陽のエネルギーをあますことなく吸収して生育する地上の精華なのです。

仏像を思い浮かべてみましょう。ほとけの坐す台座でもっとも多いのが蓮台(れんだい)です。蓮華座ともいいます。ほとけはいつも蓮華、つまりハスの花の上におられます。

(仏像を拝見するとき、ふつう、御顔やしぐさに目がゆきがちです。しかし、コスモロジー探究の立場からしますと、仏像が安置されている台座の表現に注目することが大切です。なぜなら、ほとけがどのような世界におられるのかを台座は如実に物語るからです)

ハスは地中に根をひろげて水と養分を大地から吸収し、水面から頭をもたげて太陽からの恵みを一身に受けます。ほとけはインドの大地に根ざしたハスの花の上におられるのであり、ハスの成育するこの地上の世界こそ、ほとけの世界なのでした。

生命力にとんだ豊饒なインド。幸せに満ちた「極楽」――インドのことばでスカーヴァティといいます――とは、この世にあるべきものだったのです。

 

〈地のハス〉から〈天のハス〉へ

しかし中国の雲岡では、前回見ましたように、ハスの花が天井にあります。天上の世界、つまり理想化された、この世ならぬあの世に咲くハスの花です。水辺に咲くハスの花、つまり地上に繁茂する植物が天井に表現されるのですから、そこに何か特別の意味があるにちがいありません。

天井に表現されたハスの花、すなわち〈天蓮華〉は、湿潤なインドから乾燥した中央アジアに仏教が入ってからよく見られるようになりました。(広大なインドであるだけに気候を一言でいうのは難しいのですが、比較すれば概ねそういえるでしょう)
中央アジアでハスの花は光り輝くもの、光明そのものとされました。乾燥しきった風土のなか、ごく限られたオアシスにだけ咲くハスの花は、この世ならぬあの世の素晴らしさを象徴するものに変化したのです。

仏教がインドを離れ、乾燥地帯の中央アジアに入ってから、〈天のハス〉のイメージは急速にひろがり、それが中国に入ったと考えられるのです。

一方、中国には、仏教が中央アジアを経由して入って来る前から、ハスを尊ぶ固有のコスモロジーの伝統がありました。ハスの花(=太陽)は、陰陽を支配し天をつかさどる最高存在(=太一)を象徴するというものです。

こうした中国固有のコスモロジーの伝統は遠く漢代のころからあり、北魏以降も連綿とつづいたのです。これが〈天のハス〉、すなわち〈天蓮華〉の受け皿になったとみられます。

それでは前回の雲岡石窟につづいて、同じ北魏王朝が開いた龍門石窟を探訪することにしましょう。

 

 

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〈天のハスが中心に〉

龍門石窟を訪れて驚くのは、〈天蓮華〉が天井の中央に大きく1つあり、それが窟の空間を支配していることです。

雲岡石窟でも〈天蓮華〉が見られましたが、1つの窟に複数ありました。それらは窟空間を荘厳(しょうごん=飾り立てることを意味する仏教的表現)していますが、窟を支配するほどではありませんでした。数多くの〈天蓮華〉は装飾的な意味合いで用いられていたのです。龍門石窟では、〈天蓮華〉の位置づけが変化しているようです。

また、雲岡のように、窟の中央に塔があるということもありません。窟の中央に削り残されるものは何もなく、窟内にはただ虚ろな空間がひろがるばかりです。

巨大な〈天蓮華〉をもつ窟があります。その名も蓮華洞といい、6世紀前半、北魏の時代に造営された窟です。幅6メートル、奥行9メートルほどの、ややふくらみをもった長方形の空間で、高さは6メートルほど。天井は少し丸みを帯び、楕円形に近い形状を見せています。

正面奥に本尊であるブッダの立像があり、左右には弟子と菩薩を二体ずつしたがえ、つごう五尊像でグループをつくっています。本尊仏の光背が壁から天井に連続してのび、その先端が〈天蓮華〉に接しています【写真R-1】

【写真R-1】巨大な〈天蓮華〉の光明の下に参集する釈迦仏とその弟子たち。釈迦仏の光背が〈天蓮華〉に接していることに注意したい/龍門石窟・蓮華洞

この蓮華洞を特徴づけるのはなんといっても、窟の天井の中心に存在する巨大な〈天蓮華〉。直径が3.6メートル、厚さが35センチもあり、その表現はきわめて具象的でリアルです。これが本尊のブッダをしのぐ存在感で空間全体を支配しています【写真R-2】

窟の表面は彩色されていたとみられますが、色はあまり残っていません。わずかながらの痕跡から、雲岡と同じく、花托は黄色、花びらは白色であったかと思われます。

(第11回で見ましたように、インドでは紅連と白蓮が好対照をなしていました。ヒンドゥー教が紅連を重んじたのにたいし、仏教は白蓮のほうを重んじる傾向がみてとれました。中国に入ってからも、雲岡がそうでしたし、この点では、ここ龍門でも変わることはなかったようです。白蓮を重んじるのは中国文化の性向とも合致したとみられます)

雲岡では窟空間に〈天蓮華〉が複数あらわれていましたが、それらは天上の浄土をあまねく照らす光明一般でした。こうした段階をへて、龍門石窟では〈天蓮華〉が1つ、天井の〈中心〉に大きく表現されるようになったのです。

これは、〈天蓮華〉が光明一般であるにとどまらず、太陽そのものであることを示しています。

〈中心〉に君臨する、1つの巨大な〈天蓮華〉。それは、太陽が蓮華に姿を変えたものともいえます。
この世ならぬ天上の浄土。そう、まさしくここは大地の中に開かれた天上の浄土なのです。

インドでは大地に根を張りめぐらせ、水をたっぷり吸いこみ、太陽の光をいっぱいに受けて花開いていたハスが、ここでは、なんと太陽そのものと化しています。(こうした変化は中央アジアで起きたとみられます)

インドに発したハスのコスモロジーが中央アジアでイメージ転換しました。そこから〈天蓮華〉の浄土が生まれたのでした。「浄土」とは、じつは中国で生まれた造語であり、そこに中国固有の思想や信仰が入り込んでいるのです。ただし「浄土」のイメージは中央アジアですでに芽生えていたと考えられます。

(よく「極楽浄土」ということがいわれますが、これはインドのことば「スカ―ヴァティ」を漢訳したもの。この語に「極楽」の意味はあっても「浄土」の意味は薄いため、中国で「浄土」を新たに補ったようです)

 

〈世界を生みだす巨大なハス〉

さして広くもない空間に、この〈天蓮華〉は否応なく“巨大”と映ります。“肉厚”の蓮華というのも非常に珍しい。表現もまたリアルであり、本尊仏をしのぐ存在感を発揮しています。

これが天井から覆いかぶさるように空間の全体を支配しています。すべての、そう、世界の〈中心〉として巨大な〈天蓮華〉があるのです。

【写真R-2】窟の天井中央にあって、世界全体を支配する巨大な〈天蓮華〉。世界はこの蓮華から生まれたことを物語っている/龍門石窟・蓮華洞

【図R-1】窟の天井中央にある巨大な〈天蓮華〉のまわりに配された6体の飛天。3体ずつにグルーピングされている。供物を捧げ持ち、みな顔を奥壁正面の本尊に向けている/龍門石窟・蓮華洞

そのまわりを6体の飛天が雲に乗り、酒や果実など捧げ物をもって旋回しています。〈天蓮華〉から生まれ出た飛天たちです。これを「蓮華化生」(れんげけしょう)といいます【図R-1】

飛天を生みだしただけではありません。〈中心〉にある巨大な〈天蓮華〉は、ほとけたちをはじめ、周囲にあるすべてのものを生み出しました。石窟という大地の奥に咲く〈天蓮華〉はすべてを生み出す母体であり、母なのです。
(『華厳経』を見ると、蓮華には母のイメージが託されています)

蓮華の台座に立ち、蓮華の光背に照らされるほとけたち、仏龕(ぶつがん。壁に彫りこまれた凹部)の中に坐し、飛天に祝福されるほとけたち、列をなして仏を供養する在俗の人びと……。すべては1つの大きな〈天蓮華〉に覆われ、その輝ける光明のなかに包まれています。

太陽である蓮華、母である蓮華、〈中心〉である蓮華。それが周囲のすべてを生み出しました。そして周囲のすべては〈中心〉にある巨大な〈天蓮華〉に支配され、包まれています。なんというパワフルな蓮華であることでしょう!

ここは生命力、繁殖力あふれる巨大な蓮華が生み出した浄土であり、蓮華を中心とし、蓮華が周囲のすべてを包み込む三次元のマンダラとなっています。胎蔵マンダラ図絵がインドで成立したのは7世紀であり、蓮華洞よりのちのことでした。蓮華洞は胎蔵マンダラの先行例といえるのではないでしょうか。

マンダラとは本来、すぐれて空間的・立体的なものであり、それを平面に表したのがいわゆるマンダラ図絵なのでした(詳しくは拙著『マンダラの謎を解く』を参照してください)。



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註記:図版出典および参考文献は、「ハスのコスモロジー(中)」として纏めて次回以降に掲げます。

武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。